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詠み人はどなた?阪大職員が選ばれ話題の歌会始

2020.02.28
 メディア掲載情報
2月3日の記事でご紹介したとおり、2020年1月の阪大関連ニュースの中でもっとも話題を呼んだのは、この記事でした。
1位

<関西 NEWS WEB>令和初の歌会始に大阪からも

1/17/2020 日経(朝刊36面)朝日(朝刊31面)読売(朝刊33面)毎日(朝刊29面)産経(朝刊24面)1/16日経(夕刊12面)読売(夕刊6面)産経(夕刊6面)NHK 1/15毎日放送

【入選した阪大職員 土田真弓さんの歌について及びコメント記載あり(NHK)。[※NHK記事は公開終了していたため、上掲リンクは日経に差替えました]】

「望」がお題の今年の歌会始うたかいはじめで、16,002首もの詠進歌の中から入選10首の一つに選ばれた、阪大の事務職員 土田真弓さんの歌がこちら。
眺望はどうだ晩夏に鳴く蝉を咥へて高く高く飛ぶ鳥
1月16日に皇居で開催された「歌会始の儀」にて、天皇皇后両陛下をはじめ、皇族の方々が居並ばれる中、厳かに披露されたこの歌。

この記事では、メディア掲載情報・特別篇として、歌を詠んだ背景や歌会始の儀の様子などを土田さんご本人にお伺いします!

— 土田さん、本日はありがとうございます。
よろしくお願いします。本部事務機構の総務部総務課企画調整係の土田真弓です。
阪大で働く歌人です。
— 普段はどのような業務をされているのでしょうか?
最近は阪大創立90周年・外大創立100周年記念事業の仕事も増えていますが、普段は大阪大学の運営・経営に関する様々な会議運営が主な業務です。
今回の歌会始の前日にも、各学部・研究科等のトップが集まる「部局長会議」があり、東京へ向かう数時間前まで会議の片付けなどに追われていました……当日と被らなくてよかったです。
— とてもお忙しそうですが、そもそもどういった経緯で、歌を詠み始めたのでしょうか?
短歌に触れ始めたのは4年前でした。
豊中キャンパスにある社学連携課(当時)で勤務していたとき、職場の先輩から借りた歌人・穂村弘さんのエッセイを読んだのですが、たまたまそのころ、超域イノベーション博士課程プログラムの公開授業に穂村さんが来られるということで、業務を通じてお手伝いし、お話を聞く機会がありました。そこで、「歌って面白いな」と感じ、歌集や、短歌の解説も読むようになって、自分でも歌を作り始めました。
それまで、特に文学や芸術に積極的に触れてきた経験はほとんど無くて……大学は商学部だったので会社の経営などを学んでいました。部活も、バレー部でした(笑)。
短歌は俳句よりも字数や季語の制約が少なく、私にとっては表現しやすい形式でした。31文字にエッセンスを凝縮して、直接的な表現を使わずに作った歌から感情が伝わるという点が魅力ですね。私のレベルでは滅多に作れませんが、情景を詠んだだけでその時の気持ちに共感してもらえる歌が詠めた時は、嬉しく思います。
— 普段、どのように歌を詠み、どのように楽しんでいるのでしょうか?
いろいろな短歌の賞とか大会に応募する歌を作る、という感じです。お題があったり、自由題だったりするのですが、とにかく締め切り間際にぎりぎりで一首を仕上げることが多いですね。宿題みたいな感じ(笑)。
「結社」(同じ志や作風の歌を作る人同士の集まり)に属したり、毎日詠んだりなどしている訳ではないんですが、普段から使っている携帯(ガラケー)に、思いついたフレーズや、五七五の上の句だけ、など下書きしています。
スマホではなくガラケーなのは「ただ遅れてるだけ」なのだとか。両手づかいで、閃いた言葉を入力されています。
キャンパス内で詠むことが多いですね。鳥や虫が好きなので、その声の賑やかさや気配に季節の移り変わりを感じます。そんな生き物たちとの関わりの中で生まれる気持ちを歌にしたいな、と思っています。
歌のために探すことはせず、自然に任せていますが、阪大のキャンパスというのはとても良い環境だと思います。豊中には猫ちゃん達もいますし。
— 歌会始に選ばれた歌にも、晩夏の蝉と鳥が登場しますね。
今回の勅題(歌会始におけるお題の文字)は「望」で、今上天皇即位後の5月に発表され、締め切りは9月末でした。
鳥の歌を詠みたいので「眺望」と使いたいなとうっすら考えていたのに、結局夏の終わりになっても「詠めてない~早く出さな出さな」と焦ってました(笑)。そんなとき、朝の通勤途中に本部棟付近で蝉の断末魔みたいな鳴き声が聞こえて目を向けると、2羽のカラスが弱った蝉を分け合っているところだったので、このカラスに登場してもらおう、と。そこから言葉をこねて何とか完成させ、提出しました。
この一首以外に候補はありませんでした。カラスを見かけるたび、感謝しています(笑)
ここで歌が生まれたそうです!
— その後「入選しました」の連絡がやってきて大騒ぎに?
過去に入選された方のブログによると12月に宮内庁から入選の連絡があったそうなのでひとりイメトレしてました(笑)。歌に自信があったわけではないですが、どういう評価をされるか全く分からなかったので、選ばれる可能性はゼロではないのかなと。
すると12月のある日、自宅に電話がありました。対応した家族が「宮内庁から電話あったけど、イタズラかな?」と連絡くれたのですが、「あー!それめっちゃ大事なやつ!」と私が急いで折り返したところ、「最終選考に残りました」というご連絡でした。それから数日後に宮内庁から届いた、雨に濡れた速達の茶封筒の中に、入選が決まったとの正式なお知らせが入っていました。1月16日に皇居で催される「歌会始の儀」に来てくださいとのことでした。
NHKや新聞社などから事実確認や取材があって、12月25日に入選者10名が公表されました。読売新聞の大阪版やMBSの「ミント!」などに単独で取り上げられましたが、取材攻勢と言うほどではありませんでしたね。キャンパス内までテレビの撮影に来られてびっくりしましたが。
家族・親戚一同も、入選をとても喜んでくれました。ご近所LINEグループで回してくれたり(笑)。
— 歌会始の儀当日まで、どんな準備をされたんでしょうか?
やっぱり、まずは着て行くものの準備でした。洋装ならデイドレス、和装なら紋付かそれに準ずるものと指定されていたので、和服を準備しました。母の、ピンクの色留袖です。
あとは、前日に東京入りするための交通手段と宿などの手配ですね。宮内庁だからと言ってグリーン車とかの特別待遇ではなく、官公庁の旅費規程のとおり支給されるそうです。
— そうして当日を迎えられた、と。
前日の仕事を終わらせて羽田空港近くのホテルに着いたのは21時ごろでした。
当日の朝、帝国ホテルで着付けをしていただいたのですが、他の入選者の方もいらっしゃったようです。着付けには母が駆けつけてくれました。
帝国ホテルにて。いざ、歌会始の儀!
朝9時から9時半の間に、事前に受け取っていた入構券を持ってタクシーで坂下門から皇居に入ってくださいという指示だったのですが、運転手さんも「皇居」と聞いて緊張されていました。会計の時にカードをポトリと落としてしまったり。
タクシーを降りると報道陣が待ち構えていました。
宮殿の中に入ってからは、待合の部屋に通されましたが、宮内庁の方はとても親切で、「緊張して倒れないよう、お水飲んでくださいね」とか、皇居内のお部屋にまつわる小話を教えてくださったりとか、沢山お気遣いいただきました。お手洗いにもご案内いただいて……。
— 皇居のトイレ! トイレ研究会さんが喜びそうなお話ですね。
お手洗いは部屋とは別階にあって、女性用はリボン、男性用はシルクハットの看板が立っていました。個室の中に手洗いがついていたのと、個室の外の手洗いには手鏡と櫛が備えてあったのが印象的でした。
— すみません、脱線してしまいました。いよいよ「歌会始の儀」の様子を教えていただけますか?
時間が来て、歌会始の儀が行われる松の間に通されると、既に総理など陪聴者の方は座られていました。そして皇族の皆さんが入室されましたら、宮内庁の方に教えていただいた通り、全員でお辞儀をしました。
とても緊張していたところ、一番最初に朗詠された高校生の方の入選作が良すぎて、ちょっと泣きそうになってしまいました。鼻水が、、、と気にしていたら次に自分の名前が呼ばれたので、立って一礼して、自分の歌が読まれるのを聴きました。後から映像で見ると、めっちゃ瞬きしてますね、私。
歌は読師どくじ講師こうじ・発声・講頌こうしょうという方たちが、お経のようにも聞こえる独特の節回しで、まさに「歌」として読みあげてくださいます。お経も元々は歌のようなものですから似ているんですよ、と後から知り合いのお寺の方に聞きました。
皇族の皆さまはずっと微笑みながら、中央で披講される様子を眺めていらっしゃいました。
私以外の方の歌はその時初めて聞いたのですが、どれもいい歌ばかりだったので、全部覚えようと思って必死で聴いていました。皇族の方の歌は、古語調のものもあって少し難しいと感じましたが、入選された10首はスッと入ってきました。
儀式中はずっと夢の中にいるような、フワフワした感覚でした。
この一日だけでも、歌にしたい気持ちがいっぱい湧くような、純粋に歌を楽しむことができる会でした。
— なるほど。テレビで観ていたのですが、実際に歌を作られる皆さんにとっては、歌そのものを楽しめる場になっていたのですね。
歌会始の儀の終了後は拝謁の時間でした。入選者の並ぶ部屋に天皇皇后両陛下がお越しになって、一人ひとりと2〜3分ほどお話をされました。頭が真っ白になりながらも、後の会見に備えて話の内容を必死で覚えました。
私の順番の時には、普段も生き物についての歌をよく作っていますというようなお話をしたところ、「何か飼っているのですか」という質問があり「保護した犬を飼っています」とお伝えしたところ、皇后陛下が「うちにも保護した猫がいるんですよ」と。
その話題を後ほどの記者会見で「皇后陛下が『うちにも猫ちゃんがいるんですよ』と」と話したところ、記者の方から「皇后陛下が『猫ちゃん』と仰ったのですか!?」と突っ込まれてしまい、「あ、『猫』と仰いました…」と訂正しました。
— 細かな言葉遣いまでメディアに注目されているんですね。陛下は「アメちゃん」みたいに言わないだろうと……
でも、会話の最後に天皇陛下から「ではお体にお気をつけて」とお声かけいただいた後、皇后陛下は「ワンちゃんもお元気でね」と仰っていただいたように思います。そこまで気遣っていただいて嬉しかったです。
— お優しいですね。しかし、確かにその会話の流れだと、さすがに「お犬様」とは言わないでしょうし、皇后陛下も「ワンちゃん」と仰っているのかもしれませんね。
記者会見があって、お食事会があって、選者の皆さまとの懇談会がありました。懇談会はお汁粉を食べながら自分の歌への講評を戴いたり、他の入選者の方の、歌に込めた思いを聞けたりと、一番緊張の解けた状態で楽しめたかもしれません。
私の歌は意味の切れ目と五七五七七の切れ目が一致していないものだったので、他の方からは「文字になったものを読んで『どうだ晩夏に』だと分かった」と感想をもらいました。少し聞き取りにくい歌だったかなと思います。
選者の永田和宏先生は歌人であり細胞生物学者でもある、両方の道を極めたすごい人なんですけれど、古くからご友人である阪大の生命機能研究科長の吉森保先生から事前に私のことを連絡いただいていたようで、「君は、吉森くんのとこの職員さん?」とお声掛けいただきました。阪大の先生を通じて歌人の先生とご縁が繋がり、嬉しかったです。
「賜り物」(お土産)として贈られた短冊入れ。
懇談会の終了後、また帝国ホテルで着替えて、その日のうちに帰りました。
母は、着付けの時から皇居に入るまで見送りに来てくれたのですが、その後は皇居外苑でご近所の方や親戚に配るお土産を買って、帝国ホテルのテレビで歌会始の儀の中継を観てくれました。飼っているワンちゃんたちのお世話もあったので、先に帰っていました。
— 大変な一日でしたね。おつかれさまでした。歌会始の儀を境に、人生が一変しましたか?
いえいえ、また普通の日常に戻りました。
大学時代の友人から「テレビで見たよ!」と連絡が来たりはしましたが。 歌会始はこれまでに3回入選した方もいらっしゃるらしいので、私もまた選ばれることを目指して来年以降も送り続けます。
これからますますちゃんと短歌のことを勉強しないとな、と感じています。「結社」に入ることを考えたりもしたのですが、やっぱり時間などの制約なく、好きに詠む今のスタイルが合っているように思いますね。
— 最後に、読者の阪大生にメッセージをお願いします!
何事もチャレンジが大切だな、と思います。私は一生分の運を使い果たしたかのような、一生ものの経験ができたので。とりあえず、やってみる!ことが大事なんだと思います。
歌会始は、来年の勅題が「実」ともう発表されています。みなさんもぜひ詠んで、参加しましょう!
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