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約45万年前の豊中には、体長7mもの巨大なワニが生息していました。

2024.05.10
 まちかねっ!編集部
本記事は、「阪神ハイウェイ233号 2024 SPRING」の記事を転載させていただきました。
https://www.hanshin-exp.co.jp/company/torikumi/kouken/2009-0414-1636-4.html
60年前、豊中市待兼山町の大阪大学豊中キャンパスの建設現場から、日本で初めて、ワニの化石が発見されました。調査の結果、体長7mもある、約45万年前のワニの化石と判明。豊中に野生のワニが生息していたことを示す大発見でした。地名にちなんで、マチカネワニと名付けられたこのワニについて、大阪大学名誉教授の江口太郎さんに聞きました。

日本初の発見!巨大ワニの化石

今からちょうど60年前の1964(昭和39)年、豊中キャンパスの理学部校舎建設現場からワニの化石が発見されました。それまで、日本列島にワニが生息していたなんて、誰も考えていなかったわけです。しかも、マチカネワニの体長はおよそ7m。現在生息している世界最大のイリエワニでも6mですから、それを超える巨大なワニだったのです。
マチカネワニ化石は、全身骨格化石が90個、全体積の70~80%が発掘されています。これほどの量が化石として見つかるのは、奇跡的なことです。こうした化石のことを「タイプ標本」といいます。たとえば、別の場所で歯や脊椎の化石がひとつ見つかった時に「これは、ワニの化石だ」とわかるのはタイプ標本があるからこそ。実際、マチカネワニ化石の発見の後、岸和田をはじめ日本各地でワニの化石の一部が発見されていきます。それはマチカネワニ化石を標準として、比較し、ワニの化石と判断できたからです。
さて、巨大なマチカネワニが生息していた45万年前当時の豊中の気候は、今と変わらない温帯だったと推測されます。しかし、現在ではワニは熱帯・亜熱帯にしか生息していません。唯一、温帯の中国・揚子江にヨウスコウアリゲーターというワニがいますが、全長はせいぜい2mです。
現在と45万年前の豊中の環境の違いは、当時の海水面は高く、待兼山は海岸線沿いの水辺だったということです。この地域は200万年前から現在まで、非常に寒い氷河期と暖かい間氷期を10万年周期で繰り返していることがわかっています。マチカネワニは暖かい間氷期に、豊中の水辺で暮らしていたのです。
そして氷河期に入ると豊中に棲んでいたマチカネワニは死滅します。しかし、再び間氷期になると、赤道近くの暖かい大陸で生き延びたマチカネワニと同属のワニが、再度、日本列島に渡ってきたと考えられます。マチカネワニは学問的にはトミストマ亜科という科に属し、70万年前に岸和田で生息していたキシワダワニも同属とされています。その都度、どのようにしてワニが日本列島までやって来ていたのかは、まだ謎です。

絶滅した恐竜。生き延びたワニ

ところで、ワニと恐竜の違いをご存じですか。ワニと恐竜の祖先はいずれも3億年前に出現しました。恐竜は6500万年前に絶滅し、ワニは生き延びて現在に至っていますね。
恐竜は恐竜類で、恒温動物です。エサを食べないとすぐ死んでしまいます。恐竜の骨は、ワニの骨と比べて軽いのが大きな特徴で、骨が軽いから素早く動き回って獲物を捕らえることができるのです。
一方のワニは、爬虫類で変温動物です。変温動物のワニは基礎代謝がとても低く、代謝を下げ、あまり食べなくても生きていけるようにできています。前述のヨウスコウアリゲーターは、冬に凍る揚子江の川底で何も食べずに数ヶ月間、仮死状態で暖かくなるまで寝ています。アフリカに棲むワニも、乾季の間は泥の中で数ヶ月ほど寝て生き延びます。ワニは非常に合理的です。ですから私は「ワニは恐竜より強いんだ」と言っています。
ワニの祖先というのは、今よりも足が長くオオカミのような姿をしていて、陸上で生活していました。恐竜の祖先も、もともと巨大だったのではなくもっと小さかったんですよ。でも恐竜は食べなければ死んでしまうから、大きく強くならざるを得ず、ティラノサウルスが登場する1億年ほど前には最大化して、恐竜は陸上では何にも負けない生き物となります。
そうしてワニは、次第に陸上から追いやられ、足が短く水辺で生きるのに適した姿に進化していきます。マチカネワニ化石を見ると、奥歯が丸く、臼歯が発達しているのがわかります。魚をエサにするだけなら尖った前歯だけでいいのですが、マチカネワニは水辺にきた動物をガバっと引き込んで臼歯で咀嚼していたのではないでしょうか。水辺であれば恐竜にも勝つマチカネワニは、水辺の覇者として生き残る選択をしたのです。

マチカネワニ化石の研究、進む

最近の研究では、中国の約3000年前の地層から発見された6mの大型ワニの化石が、マチカネワニと近縁であるとの報告がありました。マチカネワニと同属のワニが、青銅器時代の中国に棲んでいたことが証明されたのです。さらに、そのワニの化石からは、当時の中国の人々が使った青銅の剣で傷つけられた刀傷が数多くみつかり、巨大ワニと人間が戦っていたことも示されています。そうしたことから、当時の人間にとって恐れるべき動物だったマチカネワニが、想像上の動物、龍のモデルの有力候補とも言われています。
また別の研究では、豊中で化石が発見された、このマチカネワニはオスで43歳くらいまで生きたということが骨によってわかりました。以前はマチカネワニ化石の下あご、右後ろ脚、鱗板骨の3カ所にけがの痕があることから、恋敵とメスを争ったときの傷だろう、そのためオスだろうと想像されていました。しかし、この研究ではオス・メスの骨密度の違いからオスであることが証明されたのです。
このように、今でもマチカネワニ化石を活用して、新しい研究がどんどん進められています。今後さらに、台湾、中国など周辺の国のワニの研究が進むと、もっと新しい事実もわかってくるでしょう。これほど学術的に価値あるマチカネワニ化石が、大阪大学総合学術博物館には常時、展示されています。ぜひ足を運んで、実物をご覧ください。
大阪大学総合学術博物館の3階に展示されている、マチカネワニ化石。全長約7m、頭骨の長さだけでも1mの巨大ワニの化石だ。発掘により、しっぽの骨の一部をのぞき、ほぼ完全な形で見つかった。国の登録記念物。なお、「マチカネワニ」は和名。学名は「トヨタマヒメイア・マチカネンシス」。下あごが約30㎝食いちぎられ、傷が治った痕があることから、食いちぎられても生きていたことが化石からわかる。マチカネワニの生命力の強さを物語っている。
1964年発掘当時の様子。化石マニアの青年2人が豊中キャンパス造成中の現場で、大きな骨を発見。「ゾウの骨かも」と大阪市立自然史博物館に持ち込み鑑定を依頼したことから、大阪大学と京都大学合同の発掘チームが発足。日本初のワニの化石発見につながった
マチカネワニ化石の発見現場である、豊中キャンパス理学部前には、ワニの全長を示す7mの大きさの「マチカネワニ発掘の碑」がある
大阪大学豊中キャンパス内にある、大阪大学総合学術博物館。博物館入口の壁面には、実物大のマチカネワニ化石のレプリカが展示されている。天に登る龍にも似た、マチカネワニの姿は迫力満点。マチカネワニ化石のレプリカは、豊中市内では文化芸術センターにも飾られている
「6500万年前に絶滅した恐竜に比べて、今も生き延びているワニは、昔から現在までの化石が残っています。ですから、ワニは恐竜より研究しがいがあるとワニの研究者は考えているんですよ」と江口先生
大阪大学総合学術博物館
豊中市待兼山町1-20
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