
「なんもしない人(僕)を貸し出します。」そんな意表を突くサービスで注目を集めている阪大卒業生がいます。「レンタルなんもしない人」こと森本祥司さん。2018年6月のツイートから始まったサービスは瞬く間に拡散され、依頼は1年間で1000件にも上りました。なんでそんなサービスを始めたの?生活していけるの?就職は?大学時代、何やってたの?一見、変わり者とも捉えられそうなレンタルさん。その背景にある素顔にせまりました。
プロフィール
レンタルなんもしない人(大阪大学大学院理学研究科宇宙地球科学専攻博士前期課程修了後、教育系出版社の編集者、コピーライター等を経て、2018年6月より「レンタルなんもしない人」サービスを開始。グングン支持を拡げ、ツイッターのフォロワーは今や27万人。各メディアからも注目を集める。著書に『レンタルなんもしない人のなんもしなかった話』(晶文社)他がある。2020年4月ドラマ化。
〇Twitter:@morimotoshoji
〇著書情報:大阪大学OPAC(蔵書検索)
※編集部より※ 取材は2020年2月に行いました。レンタルなんもしない人さま、読者の皆さま、お待たせして申し訳ございませんでした。
- 掃除や勉強を見守ったり、新幹線のホームで見送ったり。ただそこにいるだけで、なんもしない。
- ネットにハマり、実験レポート未提出で留年。「レンタルなんもしない人」の大学時代。
- 安定した収入を得たい。得意なことで貢献できるなら……履歴書で唯一PRできたのは、塾講師のバイト経験。
- ネット大喜利で名を馳せたんだから、コピーライターに向いてるはずだと思い込んでいた。
- 「やっぱり会社員だよな」。安定を求めて再就職するも、1年ちょっとでまたフリーランスに!?
- 「なんもしない」の価値に目覚める! コンプレックスこそ、誰にも真似できない特技だった。
- ミスしても、ネタとして捉えられる。何が起きても大丈夫。今、めちゃくちゃ楽しいんです。
- 「向いているかも」と思うことをどんどんやってみるのが大事! ムダなことはない。
掃除や勉強を見守ったり、新幹線のホームで見送ったり。ただそこにいるだけで、なんもしない。
— 今日はなんと『まちかねっ!』編集部が今話題の「レンタルなんもしない人」をレンタルしました!
はじめまして。まずなんとお呼びすればいいでしょうか?(笑)
どうぞお好きなように。お任せします。

— では「レンタルさん」と呼ばせていただきますね(笑)。改めまして「レンタルなんもしない人」とはどんなサービスなんでしょうか。
ツイッターの告知文にも書いたんですが、ただ1人分の人間の存在だけが必要なシーンに僕が出かけていくサービスです。基本的に、ごく簡単なうけこたえ以外はなんもしません。

— すみません、意味が分かるようでまったく分かりません…(苦笑)。例えばどんな依頼があるんですか?
よくあるのは、勉強や掃除を見守ってほしいという依頼ですね。1人だと緊張感がなくて怠けてしまうけど、ただ僕がそこにいるだけで捗る効果があるみたいです。
— その図を想像するだけで、なんかニヤけてしまいます。初対面の他人なのに、よく知らない相手の行動をただ見守るというのが妙だなあと思ってしまって…
初めてバズったというか、ネタじゃなくてこれガチだわって周りから思われた依頼は、引っ越しの見送りでしたね。
— 引っ越しの見送りをしてもらうために、その方はレンタルさんをレンタルしたってことですか?友だちとか、家族に来てもらうのではなく?
そうですね。友だちだとしんみり過ぎてしまうから、とのことで。その方の部屋から東京駅まで同行して、新幹線のホームから手を振りました。
— 「なんでその場面でレンタルさんが?」って思っちゃいましたけど、いつどんな時にレンタルするのかは依頼者の自由ですもんね。
道中は楽しく会話できたので、演技ではなく本当の名残り惜しさで見送れました。サービスを通じて人生の節目に立ち会える面白さがありましたね。
— 良いエピソード…。初めてレンタルさんのサービスを知ったときは、「何やってんだこの人」と思っちゃったんですが、私もちょっとレンタルしてみたくなりました(笑)。依頼はどれくらいの頻度であるんですか?
日によりますが、3件くらいでしょうか。毎日ありますね。今日は東京から来て、この取材が終わったら東京へ帰ります。遠方だと沖縄から依頼をもらうこともあります。その方はリピーターなんですけど、またあさっても行きます。

ネットにハマり、実験レポート未提出で留年。「レンタルなんもしない人」の大学時代。
− 活動を始められてからわずか1年半で本も出版されて、ドラマ化まで決定していますよね。そんな今や大人気のレンタルさんですが、大学ではどんな日々を過ごされていたんですか?
阪大の理学部から理学研究科に進学して、研究室では地震のシミュレーションをやっていました。
— 興味があったんですか?
もともと、伝統的な理論物理学の研究分野に興味があったんです。素粒子とか宇宙論とか相対性理論とか。でもそういう研究って優秀な人たちがやるんだろうなと、ちょっとやさぐれていって。自分はそこから外れて、珍しい研究を選びました。
— ちょっとひねくれているというか、自信がないと言いますか…。レンタルさんは、どんな大学生だったんですか?

その時期によってひとつのことに偏りがちで。時期によってはめっちゃ勉強好きで、まあまあ順調だったときもあるんですけれど。ある時期はインターネットにハマり過ぎて勉強が疎かになって、レポートとかも提出できなくなって、そのせいで1年留年しました。
— ネットにハマりすぎて留年!学生らしいなあという気もしますが、そうなる前になんとかできなかったんでしょうかね?
実験のレポートを出せなかったんですよ。実験は通年の単位なので、レポートを出せなかったらその瞬間、留年確定なんです。でもレポートはみんな溜めがちで、友だちが多い人は情報交換をして、連携プレーでやっていました。要領の良さがあれば多分留年しなかったんだと思うんですけど、僕はその時ネットにハマり過ぎていて、大学の友だちがあんまりいなくて。ハンドボール部にも入っていたんですけど、「とりあえず何か入っておけよ」と言われたから入った感じで、体育会というものをナメていて1年で辞めてしまいました。
— 周りに頼れる人がいないというのは、ちょっとつらいですね。
先生に相談に行けばなんとかしてくれることが多いみたいなんですけど、僕はそういうことも苦手だったので、それもしなくて。メールは打ってみたんですけど、返事を見るのが怖くて、結局レポートを溜めてしまったっていう。それで留年して、友だちとも話しづらくて、通学路も変えました。

— そんなにもレンタルさんに影響を与えたネットってすごいな…。ネットのどんなところにハマったんですか?
ネット大喜利ですね。出されたお題についていろんな人が大喜利を投稿して、どれがより面白いかを投票で競うものです。
— レンタルさんは何か面白いことを考えるのがお好きだったんですか?
もともとお笑いが大好きで、関西のお笑い番組を観まくっていました。それを自分で考える面白さに気づいたのがネット大喜利ですね。表現を洗練させて、短い言葉で刺すのがめっちゃ好きになって、すっかりハマってしまいました。
— 何かに夢中になるって良いことだとは思うんですが、やるべきこととのバランスをとるのが難しいですよね。
両立ができないんですよね。留年後はまた勉強の方に傾いて、研究室の教授にも褒められるまでになっていました。でも今度は塾の講師のアルバイトにハマってしまって。また研究室に行かなくなって怒られたりしていました。なんか、どこかに偏ってしまうんですよね。


— その後、大学院に行かれたそうですが、進学された理由は?
理学部のほとんどの人は院に行くので、大多数の流れに自分もついて行ったというのが正直なところですね。
— 研究にはハマりましたか?
研究そのものは面白かったんですよ。地震のシミュレーションをいくらやっても楽しくて面白くて仕方なかったんですけど、論文を書くのが面倒くさいっていう。しょうもないことかもしれないんですけど。研究者は向いてないなと思いました。
安定した収入を得たい。得意なことで貢献できるなら……履歴書で唯一PRできたのは、塾講師のバイト経験。
— 大学院を修了されて出版社に勤められたそうですが、なぜ出版社に?
前向きな理由ではないんですよ。履歴書の自己PRや志望動機で書けることと言えば、塾講師のバイト経験くらいしかなくて。生徒から「分かりやすい」と言ってもらえたこともあって、教育に関わることなら貢献できるかなと思いました。それで、なんとなく教育産業に寄っていって、教育系の出版社にたまたま受かったっていうだけです。
— 誰かの役に立ちたいという気持ちがあったんですか?
いや、そもそも就職を選んだ理由でもあるんですけど、「ちゃんとした収入を得ることをやってみたい」という気持ちが強くあって。自分は留年もして、大学院にも行って、でも幼い頃からの友だちはもうとっくに働いている。自分で給料を稼いでいる。だから自分も自分でお金を稼ぐ、ちゃんと安定した収入を得るっていうことをやってみたいなと。その上で、どうせ働くなら自分の力が生きる仕事が良いなと思ったんです。
— まずは、会社員になろうと思ったんですね。
実はゲーム業界に憧れていて、任天堂とか、カプコンとか行けたら良いなと思ってたんですよ。でもその業界でアピールできる経験が何もないので、採用には引っかかりませんでした。
— 実際にお仕事をしてみていかがでしたか?
入社当初は社会人として働いている喜びがありました。でも2年3年と働くうちに、「お金さえあれば辞めたいわ」という気持ちが強くなっていって。ちょうど3年で辞めましたね。典型的ですよね、丸3年働いて辞めるっていう。
— ありますよね、「とりあえず3年」っていう。辞めた理由は何ですか?
なんとなく居づらくなってきたというのが、ザックリとした理由なんですが。仕事内容というよりも、会社員のあるべき姿みたいなものが、自分に合わなかったんですよね。社員とコミュニケーションをいっぱい取りまくって、自分が何を求められているのかを察して動いていくとか。会社員って、臨機応変さやチームワークを求められると思うんですけど、さっきもお話したように自分はバランスが偏りがちなので苦手なんです。会社員を1回やってみて、「ああ、無理だな」と思ったのが一番大きな理由かもしれないですね。

ネット大喜利で名を馳せたんだから、コピーライターに向いてるはずだと思い込んでいた。
— 会社を辞めた後はどうなさったんですか?
コピーライター養成講座を受講して、コピーライターを目指しました。
— どうしてまたコピーライターを?
大学時代にハマっていたネット大喜利で、ランキングみたいなのが出るんですが、常に上位にいたんです。大喜利で名を馳せたんだから、短いフレーズで人を惹きつけるコピーを書くぐらいできるでしょうと。有名なコピーライターが書いたコピーを見て、「ああ面白いなぁ」と思いつつ、「でもこれ自分できるわ」って。本気でコピーライターになるつもりでいましたよ。
— 実際に勉強なさってみていかがでしたか?
コピーライター養成講座は、広告業界ではコピーライターの登竜門として有名な講座なんです。毎回課題が出るんですけど、課題の上位に入ると、金色の鉛筆がもらえるんですね。あれを受講生の中で一番多く集めたんですよ。15本。周りからめちゃめちゃすごいねってチヤホヤされて。
— 15本!?私もコピーライター養成講座に通ったことがあるので、そのすごさがよく分かります。ちなみに私は、1本も鉛筆もらえませんでした…(苦笑)。講座を修了した後はどうされたんですか?
その講座の伝手で、いくつか仕事をもらったんですけど。
— すごいなあ、本当に実力があったんだと思いますよ。それでコピーライターとして独立されたんですか?
そうはならなかったんです。コピーライターをやってみて、向いてないと気づいたことがまたあって。コピーを書くことに絞って考えると向いているかもしれないんですけど、コピーライターという仕事や、役割を果たすことには向いてなかった。
— それはどういうことでしょう?
顧客へのプレゼンや一緒に広告をつくる人たちとの連携がうまくできなくて。書くだけなら良いけど、その周辺のことができなかったですね。いろんな人とのコミュニケーションを上手くやるとか。
— 大学時代も、周りの人に上手く頼れなかったとお話されていましたしね。
こうやって1対1で話すのは割と好きなんですけど、3人以上いたら無理ですね。あと小学生の頃から、家では普通にしゃべれるのに、クラスの中に入ると何もしゃべれなくなるみたいなことがあって。場面によっては、何もしゃべれなくなるんです。学校のクラス替えの時とか、塾とか。それが広告業界の人たちと関わっている時にも発症したんです。なんかしゃべれないんですよ。みんながしゃべっていることにも追いつかないし。しゃべることによって注目されるのも怖くて。
— 今は世間から注目されて、たくさんの人と関わっているレンタルさんですけども、そんな背景があったんですね。
その場の流れとか、雰囲気とかに力点があるコミュニケーションが苦手なんです。例えば、飲み会の席とか、話し声があまり聞こえないじゃないですか。それでもなんとなくみんな笑うっていう。あれがもう無理でした。
「やっぱり会社員だよな」。安定を求めて再就職するも、1年ちょっとでまたフリーランスに!?
— コピーライターを辞めて、その後はどうされたんですか?
教材の編集プロダクションで1年半働きました。
— 会社員に戻ったんですか?
そうですね。会社員をしている友だちと飲んだ時に、収入面でめちゃくちゃ心配されたんです。相手は会社員で割と安定していて、自分はフリーランスで収入も不安定で。僕は新卒の時に結婚もしているし、「やっぱり会社員だよな」って思いました。
— 「安定」を選んだということですか?
自分の本当の気持ちというよりも、友だちからの外圧ですかね。
— この会社をお選びになった理由は?
教材編集の会社なので今までの経験が生かせるし、出版社で働いた時とは違って書くことに専念できると思ったんです。労働環境が厳しくて、1年と3ヵ月で辞めたんですけどね。

— 会社を辞めた後はどうなさったんですか?
2社目を辞めたタイミングで、やっぱり組織は向いてないことが分かったので、「もうフリーランスしかないわ」と。そこで初めてちゃんと腹を括って、ライターをやることにしました。
— 一度フリーランスになって、安定を求めて会社員に戻って、またフリーランス。怖くなかったですか?
もちろん怖さはありました。でもその怖さと、会社員のしんどさを天秤にかけると、自分にとっては会社員のしんどさの方が圧倒的に重かった。だから勇気があるとか言われるんですけど、逃げただけっていう感じです。それで教材の出版社から仕事をもらって、問題をつくったり解説を書いたりしました。
— 今度こそは、という思いがあったかと思いますが、いかがでしたか?
それがこの働き方も向いてないと分かって、数年して辞めました。
— え〜!!それはどういう点で?
出版社の立場からすると、外部のライターから確実に成果物を回収したいので、同じような仕事しかもらえなかったんです。僕は飽き性なので同じことを繰り返すのが無理なんですよ。その上、やってることは毎回変わらないのに、求められるクオリティだけはどんどん上がっていく。それに応えていくのがしんどかった。報酬もあまり変わらなかったし。それでもやっていけるのがフリーランスだと思うんですが、もともと僕は指示待ち人間なので。
— 同じことの繰り返しは嫌だけど、何かしら新しい刺激は欲しい。でも、がんばることはしたくない、みたいな感じですか?
新しい刺激を求めて、自分から動くのは無理なんです。僕はテレビっ子で、テレビを観ているのが好きなんですよ。いろんな刺激が、完全受け身状態で流れてくるじゃないですか。その感じがめちゃくちゃ好きで。
— そりゃあ、なんもしないで楽しい思いができたら最高だと思いますが、そんなことを実現している社会人は出会ったことないです(笑)
「なんもしない」の価値に目覚める! コンプレックスこそ、誰にも真似できない特技だった。
会社員はダメ、フリーランスもダメで。自分は結局なんもできないんだと思いました。だったら、なんもしなくてもやっていける方法を考えた方がいいと思って、いろんな本を読んだり、情報収集したりしました。
— これだ!っていうものは見つかったんですか?
ある心理カウンセラーのブログで「存在給」という概念を知って、これまでの常識とはまったく違っていて面白いなと思いました。
— 「存在給」ですか。それはどんな概念なんですか?
「存在するだけで給料はもらえる」「何もしない人にだって価値はある」というような概念です。それを頭の片隅に置いて世間を見渡してみたら、なんもしなくても生活が成り立っている人が結構いたんです。

— え、例えばどんな人ですか?
極端で分かりやすい例で言うと、「プロ奢ラレヤー」という方がいます。人に食事を奢られて、生計を立てている方なんですけど。彼の存在を知って、「本当になんもしないで生活している人がいるのか!」と思いました。プロ奢ラレヤーさんを知った翌週ぐらいに、呼ばれたところに行ってなんもしない、っていうイメージが映像でパッと浮かんできたんです。このアイデアは自分にしかできないことだと思いました。それですぐにプロフィールの写真を撮って、ツイッターの告知を書いて、次の日から「レンタルなんもしない人」を始めたんです。
— どうして「レンタルなんもしない人」は、自分にしかできないことだと思ったんでしょうか?
僕は学生の頃から友だちと協力したり、自分から進んで仕事を見つけて動いたりすることができなかった。社会に出てからも、このなんもしない姿勢を指摘されたんですが、それでも自分から積極的に動いて何かすることが苦手。「なんもしない」のが、僕にとってずっと強いコンプレックスだったんですね。例えば誰かに、「なんもしないで、ただそこにいて欲しい」と言われたとしても、僕以外の人だったらきっと何かせずにはいられないと思うんです。
— たしかに、何かしたほうが良いんじゃないかって、いろいろと考えてしまいますね。
でも僕ならごく自然になんもしないでいられる。なんもしないことが、逆にウリになると思いました。ちょっと例え話をすると…光学の「全反射」って分かりますか?高校の物理でやるんですけれども。
— ド文系の私でも理解できるようにお願いします!(笑)
水の中にあるものから出た光が、地上に出て行くときに屈折していくんです。ただある角度を越えると光が水面より上に上がれなくて、全部水の中で反射する現象を、全反射と言います。全反射する時って、光が水面上に出てないように見えるんですけれども、実は出ているんですよ。しかも真っ直ぐピッと出てくるんじゃなくて、境界面に沿って変な光がビュッと出ているんです。「エバネッセント波」って言うんですけれども。大学の授業で知ったんですけど、その授業がめっちゃ面白くて。出てないって高校で習ったのに、出てるのかって。あり得ないだろと。
— 私は初めて知ったんですけど、素人が聞いても面白いです!
なんもしないって言ってるけど、実は出てるものがある。なんもしないに踏み切ったら、何か出るんじゃないかって。
— エバネッセント波みたいにね(笑)。

— 誰もやったことのない、まったく新しいサービスなわけですが、始めるに当たって不安はなかったんでしょうか?
早くやらなきゃって、ソワソワしていました。なんもしないで生活を成り立たせることができたら、それは今までの働き方を変えることだと思ってワクワクしたんです。
— 労働の対価として報酬を得るという世間一般的な働き方を手放して、新しい生き方を始めるというのは誰にでもできることではないと思います。レンタルさんはどうして踏み切れたんでしょうか?
僕には「自分は何か面白いことができるんだ」という根拠のない自信があるんです。ネット大喜利を始めた時も「自分は完全に面白い人間だ」という確信を持って、書くことを楽しんでいました。根拠のない自信さえ保てれば、ストレスなく自分ができることを続けていける。それに、これまで自分が持っていた常識的な価値観を手放すっていうのは、まあワクワクするもんですよ。
— ワクワクするかもしれないですけど、やっぱり周りからの意見や視線が怖いなあと思ってしまいそうです。
大学時代の学びに絡めて言うと、物理とかって、それまでの常識を覆すことで発展してきたと思うんですよ。宇宙がどうなっているかとか、地球がどうなっているかとか。例えば、天動説と地動説もそのひとつ。名だたる学者と自分を同列に語るとまた叩かれそうですけど、主体的にがんばっている気持ちもなく、嫌なことをひとつもせずに、なんの苦労もなく生きていけるっていうのを実践すれば、それは今までの価値観や常識を変えますよね。ちょっとやってみたいなっていう気持ちが強かったです。
ミスしても、ネタとして捉えられる。何が起きても大丈夫。今、めちゃくちゃ楽しいんです。
— サービスを始められてから、以前感じていた働くことへのストレスを感じる瞬間はありましたか?
ないですね。自分にとって、研究というか、実験をやっているみたいな気分があって。
研究者のようにレポートをまとめなくてはいけない義務も無いので、めちゃくちゃ楽しいです。
研究者のようにレポートをまとめなくてはいけない義務も無いので、めちゃくちゃ楽しいです。
— すごい!長年悩み続けてきたストレスから解放されたんですね。では会社員だった時と今とでは自分の在り方や、働くことへの感じ方も違ってきましたか?
違いますね。今は正直、働いているという感覚もないですし。会社員をやっていた時は、とにかく何も起こらないで欲しかった。ミスしたら怒られるだけの世界なので、無事仕事が進んで、無事給料がもらえるサイクルを延々と繰り返していけばいい、みたいな精神状態だったんです。でも今は「何でも起こっていいよ」という感じです。何らかのミスがあっても、それはそれで面白いと思えるし、ツイッターのネタにもなる。ストレスがあったとしても、それを俯瞰してちょっと珍しいイベントとして楽しめる感じです。


— 今はフリーランスというお立場ですが、かつてあったような不安定さへの怖さはもうないんですか?
ないですね。前は無料で活動していたんですが、今は交通費とは別途で1万円いただいていますし(※取材時。2020年6月3日から、交通費・諸経費除き無料に戻っています)、それに毎日依頼があるのでお金への不安は特にありません。何よりも活動を始めてからの短期間で、客観的に見てもすごい体験をしていると思うんですよ。たくさんの人と会って、これまでしたことのない経験を重ねることができたし、なんもしないことで人の役に立つという新たな試みも成功していますし。メディアにも取り上げてもらって知名度も上がってきました。
— そうですよね。2年足らずでドラマにまでなるなんて、誰でも経験できることではないと思います。
もしこの活動が終わったとしても、アピ—ルできる材料はある状態なので、就職しようと思えばできると思うし、経験を文章化すればお金になる。どうとでもなるなと思っているので不安はありません。
— すごくしなやかな生き方ですね。このサービスをやってよかったと思うことは何ですか?
やって良かったと思うことは全部です。常にやって良かったなと思うことしかないというか。仕事のやり甲斐を意識しないといけないのは、普段やり甲斐がない人なんだろうと思います。今の僕にはやり甲斐が無限にあるので、そんなことはまったく意識していないです。

「向いているかも」と思うことをどんどんやってみるのが大事! ムダなことはない。
— 紆余曲折を経て今に至るわけですが、レンタルさんが大学生だった自分にアドバイスするなら何を伝えたいですか?
なんもないです。僕は実際に、いろいろ経験したからこそ今があるので。自分に向いていそうだと思った教育産業と広告業界で働いてみました。会社員よりもフリーランスが向いてるかもしれないと思って、働き方を変えてみました。とりあえずやってみて、向いていないと実感したから開き直ることができたんです。だから、向いてるかもって思うことをどんどんやっていくことは大事だと思います。あとで「やっぱり向いてなかったわ」と思ったとしても。僕は今までやってきたことで、ムダだと思うことはひとつとしてないですから。
— 日本ってどこか、“みんながやってるから自分もやる”という風潮があると思うんです。それこそ、みんなが大学院に行ってるから自分も進学するとか、みんなに言われたから会社員になるとか。本当に自分のやりたいことと向き合って、周りに流されない生き方を実践するのってなかなか難しいと思うんですよね。
流されちゃいけない訳じゃないので。流されて、それで快適に過ごせるならそれに越したことはない。流された結果、めちゃくちゃしんどいと思ったなら、距離を置けばいいんじゃないかと思います。だから別に周りに流される、流されないとか、組織に所属するのかフリーランスでやるのかというのはあまり関係なくて、自分が心から嫌だと思うことからは逃げたら良いんだと思います。
— 逃げたいけど、逃げるのってなんとなく抵抗感が…
嫌なことこそやるべきだ、っていう価値観を持っている人もいますが、そういう人と戦うつもりは別になくて。嫌なことをやった結果、むちゃくちゃ大成功するかもしれないし、それならそれで良いと思います。でも僕は、一度嫌だと思うことをやってみて、「ああ、やっぱりやらない方がよかった」っていうのをいっぱい繰り返してきた。だから僕は、嫌なことはやらないようにしているんです。
— とりあえず、向いてるかもと思ったことはやってみる。そして嫌だと思うことからは離れてみる。意外と、シンプルなのかもしれませんね。個人的に、レンタルさんすごいなあと思ったのは、自分の腑に落ちるまでトライアンドエラーを重ねて来られたことです。どんな時もレンタルさんの中にあり続ける、軸って何ですか?
そうですねえ…。価値の創造とか言っちゃうとなぁ。なんて言ったら良いんでしょうね。新しい価値観を探りたいってことですかね。
— なんかカッコいいですね!開拓者みたい。レンタルさんって一見、何を考えているか分からないと言うか、パッとしないと言いますか…。すみません正直、フォロワーが27万人もいて、ドラマ化もしちゃうような人には見えなかったんです。そういう人って、なんとなくキラキラしているイメージがあって。でも、インタビューさせていただいて、レンタルさんの良さって、素の自分であり続けるところにもあるなと感じました。そういう意味では、レンタルさんは大学時代から何も変わってないのでは?と思ったんですが、いかがでしょう。
そうですね。僕の周りには、ストイックに勉強して優秀な成績を修めて進級していた人もいたし、チャラそうに見える人でも周りと連携してどんどん進級していた人もいたけど、自分はそうなれなかったんですよね。だから当時は、そんな人たちと関わることがおそれ多くて。今は、そういう人たちと戦う必要はないと思っているからストレスがないんです。根本は変わってないと思いますけど、しんどいこととの向き合い方が変わりましたね。
— 自分は自分のままで良いんだって認められたら、すごく前を向いて進めそうですよね。
いやでも僕は、自分にはめちゃくちゃ甘いですよ。極限まで自分に甘くしています。