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【前編】世界一のキッカーを目指し、劣等感をバネに何度も挑戦する。「大切なのは、本当にやりたいことが何かを掴み、正しいアプローチを積み重ねること。」

2023.04.21
 😳mappa!
「まさかアメフト選手になるなんて思いもしませんでしたよ」。そう話すのは、社会人アメフトチーム「オービックシーガルズ」の選手として活躍する山﨑さん。大学時代は大阪大学文学部人文学科で日本学を専攻し、阪大のアメフト部「TRIDENTS」に入部したのをきっかけにアメフト選手の道を歩み始めました。現在はアメフトの本場・アメリカで日本人初のNFL(ナショナルフットボールリーグ)プレーヤーを目指し、日本の社会人アメリカンフットボールのトップリーグである「Xリーグ」の強豪チーム「オービックシーガルズ」でキックを専門とする「キッカー」というポジションで活躍中。スポーツ選手になるのが夢だったわけでもなく、山﨑さんの原動力は「自分が好きな“蹴る”という動作で、誰にも負けたくない」という想い。なぜアメフトを始めたのか?どうして就職ではなくアメフト選手の道を選んだのか?その背景には、「本当に自分がやりたいことをやれているか?」という本質的な問いがありました。

プロフィール

山﨑丈路さん(やまさきたける)

日本の社会人アメリカンフットボールのトップリーグである「Xリーグ」の強豪チーム「オービックシーガルズ」(千葉県習志野市)でキッカー(背番号12)を務める。画像処理・AI・センサー等、センシング技術を用いて最適なソリューション提供を行うアキュイティー株式会社にも勤務。2013年4月に大阪大学文学部に進学、阪大のアメフト部「TRIDENTS」に入部し、アメフト人生を歩み始める。2017年に「エレコム神戸ファイニーズ」の練習生となり、アメフトに専念するべく大学を中退。2019年には社会人選手として試合に出場し、パンターの最優秀選手に選ばれる。2020年に「オービックシーガルズ」に移籍。2021年4月に、カナダの最高峰プロリーグであるCFL(カナディアンフットボールリーグ)の「BCライオンズ」に初の日本人選手として入団し、同年8月退団。

山﨑丈路 さん
Instagram: @takeruyamasaki
Twitter: @takeruyamasaki
YouTube: https://www.youtube.com/channel/UCcAAgk9rdWz_uuIFENJKIag

オービックシーガルズ(OBIC SEAGULLS)
公式サイト https://seagulls.jp/
《目次》

▼ 前編

後編
  • 世界最高峰のNFLを目指し、日本での実績とアメリカでの挑戦を積み重ねる。
  • コロナ禍で海外に行けない時期も、自らチームにコンタクトを取り、実績をアピール。カナダCFLの「BCライオンズ」へ入団を果たす。
  • 思うように成績を残せず、4ヶ月で退団。海外での試合経験を強みに、ふたたび一歩。
  • 才能があったから、できたんじゃない。大事なのは、本当にやりたいことが何かを掴めていること。 そのために正しい努力を積み重ねているかどうか。
写真提供:オービックシーガルズ

仕事もプライベートも、スポーツ尽くし。

よく晴れた1月の土曜日、時間は午前11時。千葉県習志野市にある「オービック習志野グラウンド」に足を運ぶと、そこには黙々とトレーニングに励む山﨑さんの姿がありました。
― トレーニング後でお疲れのところ、取材を受けてくださってありがとうございます。いつも今日みたいに、筋トレをされたり、ボールを蹴る練習をされたりしているんですか?
そうですね。シーズンオフ中の土日は、10時から16時くらいまでトレーニングしています。
トレーニングに励む選手の皆さん。写真中央が山﨑選手。
― シーズン中は平日もトレーニングされているんですか?
いや、日本のアメフトはアマチュアのクラブチーム(社会人リーグ)しかなくて、プロではないんです。だから平日はフルタイムではないですが一般企業で仕事をしていますし、空いた時間にはパーソナルトレーニングを受けに行ったり、海外のフットボール関係者とコンタクトを取ったりしています。
― ちなみにどんな仕事をされているんですか?
モーションキャプチャといって、人物や物体の動きをデータ化し、定量的に評価するシステム関係の仕事です。アメフトをやっている理由にもつながるんですけど、僕は人間の身体にまつわる物理に興味があって。専門的な言葉で言うと、バイオメカニクスとか、生体力学。どういう動きをすれば効率良く力を発揮できるのか、再現性を保てるのか、そういったことを研究したいという気持ちがあって、この仕事を選びました。
― 仕事でもスポーツに関わるようなことをされているんですね。そもそも、どうして山﨑さんがアメフトを始められたのか、なぜ正社員で構成される実業団チームではなくクラブチームに所属して活動する道を選ばれているのか、そのあたりをおうかがいしたいのですが。
まず僕の目標や目的からお話すると、僕がアメフトをやっている理由は、キックをきわめることなんです。「きわめる」というのは2つの意味があって、まずひとつは蹴る(キック)という動作を探究すること。どんなふうに身体を動かせば、ボールがより遠くへ、より安定して飛ばせるのか。その動作を「究める」ことです。そして、もうひとつは「極める」こと。誰よりも飛ばせる。誰よりも安定したキックができるようになること。つまり、世界一のキッカーになることです。
― キッカーというのは…?
アメフトのポジションのことです。一言で表現すると、ボールを蹴るスペシャリスト。例えば、試合終了間際に同点もしくは逆転を狙うフィールドゴールを任されたりと、ゲーム展開で重要な役割を担うポジションです。
キックの練習をする山﨑さん
― キックをきわめる…!?世界一のキッカー!?話が壮大で驚きました。
ははは(笑)。僕も、まさか自分がアメフトの選手になるなんて思っていなかったですよ。そもそも、小学生から高校生までずっとサッカーをやっていましたし。アメフトを始めたのは大学生からです。

そもそも、スポーツで生きていこうなんて、考えもしなかった。

― もともとはサッカーをされていたんですね。
小学3年生からサッカーを始めました。それも野球とか水泳とか、いろんなスポーツをやってみる中で感覚的に楽しいと思えたのがサッカーだったんです。
― サッカーでトップレベルを目指すというような目標はなかったのでしょうか?
小学4年生の時に、その夢は捨てましたね(笑)。自分なりに上を目指す努力をしてみたけれど、上には上がいるし、上に行けば行くほど現実的じゃないなと。サッカーは楽しいし、やるからには上を目指して一生懸命やるけれど、それが達成可能かどうかはまた別の話だなって。結構、現実的な子どもだったんですよね(笑)。
― サッカーに限らず、スポーツの世界で生きていくぞ!というような気持ちや意志もなかったんですか?
全くなかったですね。
― なのになぜ、アメフトを始めて世界一のキッカーを目指されているのか…その経緯を聞かせていただきたいです。
最初に、阪大に進学したきっかけをお話しないといけませんね。話は、高校を卒業して大学進学の時に遡ります。実は僕、浪人しているんです。大分県出身で、はじめは九州大学を目指していたんですけど結果は不合格。どうせ1年勉強するなら、今よりも上を目指したいと思って、大阪大学か京都大学に行きたいと思いました。大阪大学を選んだのは、「京大は無謀だ」みたいな感じで親から反対されたのと(笑)、大阪大学の文学部なら自分のやりたいことができそうだと思ったから。もともと歴史が好きなんですけど、日本人的な考え方が生まれた背景や経緯にすごく興味があって。子どもの頃から、世の中の当たり前が自分にとっては好きじゃなかったり、納得できない考えもいっぱいあったりして、でも逆に、日本人的な思考ってどうやって生まれたのかに興味を持ちました。阪大の文学部には、日本の歴史や文化、風俗、民族など、幅広く学べる「日本学」という専修があるのを知り、多角的な視点から日本を見つめられそうだなと。だから入学前は、大学に進学したら研究に励みたいと思っていたんですけど、アメフトに出会ってしまってから、完全に脳が切り替わってしまいました(笑)。

「自分はこんなもんだ」と、可能性を閉ざさない。 同級生の訃報をきっかけに、考え方が変わった。

そもそも前提として、大学では部活に入ろうとは思っていませんでした。その考えが変わったきっかけがあって。僕が浪人している時に、高校時代のサッカー部で主将をやっていた同級生が病気で亡くなったという知らせを聞いたんです。正直、そいつとは全然仲良くなくて、プライベートで一緒に過ごすこともないし、いけ好かないなって思ってた人なんですけど、亡くなった知らせを聞いた時に、すごく込み上げてくるものがあって。
そいつは主将を務めるだけあって、自分の考えを持っている芯がある人間だったんです。サッカーに関しては、きっと自分よりも高いレベルで考えていたし、相手の言っていることの方が正しいこともたくさんあった。闘病中も「サッカーをやりたい」と言っていたそうで、だけど叶わなくなってしまった。そんなことを思うと、「自分は本気でやりたいことをやれて生きているか?」と考えさせられて。先ほどもお話したように、僕は子どもの頃から現実的な判断をする性格だったんです。ちょっと頑張れば目標は達成できるかもしれないけど、でも自分はこの程度のレベルだろう、とか。将来のことを考えるにしても、自分は何かを生み出せるような人ではないし、とか。妥協というか、周りを見て自分の可能性を閉ざしてしまうような、現実的な選択しかしてこなかったことにすごく引っかかりを感じていました。その考え方が変わったんですよね。自分の可能性に自ら線引きしてしまうのではなく、「やりたいことを、やる」と。
― その考えが、アメフトにつながっていくのでしょうか。
はい。もともと運動は好きだから、サークルでサッカーを続けてもいいかな、くらいは考えていたんですけど、大学の部活って、実業団を目指すようなプロ意識を持っている人が行く場所なんだろうと思っていたから選択肢にはなかったんです。阪大でアメフト部の勧誘を受けて、「高校までサッカーをやっていました」と話したら「ボール蹴ってみて」と言われて、蹴ってみたらいい感じで飛距離ものびて。その成果に期待が高まったのか、めちゃくちゃ勧誘されました(笑)。アメフトにはボールを蹴ることに特化した「キッカー」というポジションがあるのを知って、「ボールを蹴ることなら、自分もここで十分勝負できるかもしれない」と思って。
― 可能性を感じられたんですね。
そうですね。サッカーをやっていた時からボールを蹴るのは得意だったし、逆に周りのプレーヤーを見ながらポジショニングをするのが苦手で。それはサッカーをする上でとても大事なんですけど、その課題にぶつかってからは、「もしかしてサッカーは自分には合わないスポーツかもしれない」と、限界を感じていたところもありました。だから、得意なキックを専門とするポジションなら、本質的に自分に合ってるかもしれないなと。
キッカーって、いかにボールを高く、遠くへ、正確に蹴られるかが大事なんです。僕はその要素に関しては、サッカーをやっている時に誰にも負けない強みだと思ってプレイしていました。その得意な部分だけを抽出したポジションがあるなら、そちらを選ぶ方が本質的に楽しいだろうし、高みを目指せるかもしれないと思ったんですよね。小学生の頃から続けてきたサッカーをこの先も続けるのか、本質的に自分がやりたいこと、好きなこと、できることを選ぶのか。サッカーとアメフトそれぞれのやりたい理由とやらない理由を考えて悩んだんですが、先ほどもお話した友人のエピソードが自分の決意を固める判断軸となり、アメフトの道を選びました。
― 「やりたいことを、やる」ということですね。
はい。やるからには、絶対誰にも負けないという気持ちで始めました。キッカーとして、日本の学生のトップになろうって。
― そのモチベーションはどこから湧いてくるんでしょうか?
もともと負けず嫌いなんだと思います。自分が好きでやってることで、誰かに負けるのが一番嫌なんです。
― でも、アメフトってこれまで一度もやったことがないスポーツですよね。どうしてそんなにも、前のめりな姿勢になれるのでしょうか。
やっぱりそれは、自分ができるかどうか、とか、才能があるかどうか、とかではなく、何を楽しいと思うか。何をやりたいのか。それが一番大事だと思えるようになったのが、僕にとって大きな変化でした。自分の根本的な想いや意志を握れていたら、能力は後天的に身につけられるものだと思っていて。できるかどうか分からないという不安よりも、やりたい気持ちの方が強かったんです。
阪大アメフト部「TRIDENTS」時代。写真中央が7番が山﨑選手。

渡米して本場の選手と競ったことも、迷いながら就活したことも、大学中退も。 キッカーとしての可能性を広げるきっかけに。

― 2013年の入学と同時に「大阪大学アメリカンフットボール部TRIDENTS」に所属されて、4年生にはアメフトの本場であり世界最高峰のプロリーグ「NFL(ナショナルフットボールリーグ)」の元選手からキックを教えてもらう機会があったそうですね。世界で活躍していたプロから学ぶなんて、この4年間で何が起こったんですか!?
「好きで得意なことで誰にも負けたくない」。その想いは4年生になっても変わることなく、むしろ「もっとできる」「どうすればもっとキックが上手くなるのか」という考えがさらに強まっていきました。そんな時に、キッカーを育成する団体「Japan Kicking Academy (JKA)」の代表の方に会う機会があったんです。その方は、日本のトップリーグに所属していた元選手で、JKAを設立するまではNFLをはじめとする世界的なプロリーグでのプレイを目標に、本場アメリカで挑戦されていました。いわば、世界やNFLを目指す日本人キッカーの先人的な存在です。そんな方々が主催する合宿があると知り、「参加させてほしい」とSNSでコンタクトを取りました。合宿の内容としては、元NFL選手のMichael Hustedコーチが初来日し、キックを教えてもらえるというもの。そこでは他にもキックが上手い学生はいたけれど、正しい努力を積み重ねれば勝てると思いました。元・世界的なプロの選手と共に蹴るという貴重な経験の中で、「世界における自分の現在地はどのあたりなんだろう?」という漠然とした好奇心がふくらみ、視野が日本から世界へ広がりました。
初来日した元NFL選手のMichael Hustedコーチと山﨑選手
― 大学からアメフトを始めて数年で、世界が視野に入るなんて…。やりたいことをやる、好きなことで負けたくないという山﨑さんの強い決意が、どこまでも山﨑さんの可能性や伸びしろを広げていく力になっているんですね。
4年生の冬に部活を引退してからも、世界に対する好奇心がやむことはなく、Michael Hustedコーチが主催するコンバイン(チームのスカウト担当者に能力をアピールする場)に参加するために渡米したんです。本場アメリカの有名大学でプレイする選手が参加する中、フィールドゴールの部門ではトップの成績を残すことができ、「世界でも十分戦えるのでは」と自信を得ることができました。
初渡米時。左から2番目が山﨑選手
― 在学中に渡米!?それはコーチからお誘いがあったんですか?
いえ、コンバインの話は聞いていたけど、誘われてはなくて(笑)。でも世界における自分の立ち位置を知りたくて、この時は親に内緒で行きました。バレたら絶対に反対されると思ったので(苦笑)。
― しかも4年生の冬って…就活とか卒論はどうされたんですか?
これはまあ、僕の懺悔みたいなところでもあるんですけど。「やりたいことをやる」と決めてからは、やりたいこと以外できなくなってしまって(笑)。自分にとってアメフトが一番やりたいことすぎて、勉強と就活が後回しになっていたんです。恥ずかしい話、留年しました。
― でも、もともと現実思考だった山﨑さんが勉強と就活を後回しにするほど、キッカーとしての自分の可能性を感じられたということですよね。
そうですね。アメリカに行って現地の選手と肩を並べて蹴った時に、「世界でも戦えるな」という感覚を得ることができたのが、自分にとって大きな手応えでした。他の選手と比べて足りていないものや課題も明確になって、どんなステップを踏めば勝てるのか分かったんです。やりたいことと、できそうなことが、ガシっと噛み合った感覚でした。
― 現地の選手に圧倒されて自分には無理だと思うのではなく、現地で感じた差や課題をポジティブに捉えられていますよね。
そう考えたら、世界を目指してやってみたいと思うようになってきて。でも、現実的なことを考えると、阪大に進学したなら、それなりに収入を見込める企業に勤めるのが一般的だと思うし、部活の同期や先輩も名のある企業に就職していました。世の中の当たり前をとるか、心の底にあるやりたいことを尊重するのか。キッカーの高みを目指す道と就職とで、ものすごく悩みました。葛藤しながらも実際に就活もしていたし、最終面接まで進んだ選考もあったりしたんです。
― ちなみに、どんな業界で就活されていたんですか?
どうせ仕事するなら、好きなことをやりたいと思って、日系のスポーツメーカーを中心に就活していました。そういうスポーツに特化した企業に入れば、選手活動を続けていても周りから応援してもらえそうだし、トレーニングに必要なものを企画開発できたらいいな、なんて思ったりもして。最終面接まで行ったけど、結果はダメでした。
でもふと考えてみると、スポーツメーカーを志望したのは、自分が選手を続けたいからなんです。その企業に入って何がしたいのかというよりも、自分が実現したいことにより近づける場所を選んでいたというか。これってやっぱり、自分は選手として高みを目指したいんだと気づきました。これまで、あれこれ理由をつけて就活していたけど、それは自分が本当にやりたいことの本質が見えていなかったんだろうなと思います。でも就活をしたからこそ自己分析ができて、本質的な願望に辿り着くことができた。無駄な時間ではなかったと思います。
― 葛藤も、次のステップに進む後押しになったんですね。
とは言え、本格的にスポーツ選手を目指すっていう道は、これまでの人生ではあり得ない選択肢なわけです。大阪大学まで行って、しかも大学から始めたマイナーなスポーツで、日本のプロリーグはないし。「そんな環境で高みを目指すってどういうこと?」って、僕自身も思いました。普通じゃないし、ぶっ飛んでる。でもこの時にも、高校時代の同級生のエピソードが頭をよぎったんです。「やりたいことをやる」と入学当初に決めてから、自分の可能性や伸びしろに全てを費やして、アメフトを最優先に動いてきた。今更、社会性や世間を気にする必要はあるのかと。周りからの励ましや応援の声も追い風になり、「やりたいことをやって生きていく」という決心に踏み出すことができました。
― アメフト選手の道を歩むということですね。
はい。大変な道だとは分かっているけど、これが自分の本当にやりたいことだから仕方ないですよね。やるしかない。自分の選択に責任を持とうと。そうして就活を投げ打って、大学を中退し、アメフト選手という道を歩み始めました。
>後編へ続く
 

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