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外国語学部出身「FM COCOLO」の看板DJ・野村雅夫さんが伝えたいメッセージ。「Whole Earth」な学びの場を最大限活用せよ!

2023.10.25
 😳mappa!
野村雅夫さん(のむらまさお)FMラジオ放送局「FM COCOLO」
残暑厳しい9月のとある火曜日。大阪市内にあるFMラジオ局「FM COCOLO」に取材班が訪れると、そこには大阪外大(現・阪大)出身のラジオDJ・野村雅夫さんの姿がありました。

時刻は10時30分。スタジオでは、まさに生放送中。そして番組の終了直後にmappa!の取材に応えてくださいました。

この記事では、親しみを込めて「まちゃおさん」と愛称で呼ばせていただきながら、ラジオDJを目指したきっかけやラジオの魅力、また大阪外大在学中の学生生活の様子や、大学院博士後期課程を経てラジオDJになるまでの道のりなどをうかがいました。ぜひ、まちゃおさんの番組「CIAO 765(月曜日〜木曜日の朝6時〜11時生放送)でラジオの臨場感を楽しみながら、記事を読んでみてくださいね。

プロフィール

野村雅夫さん(のむらまさお)

イタリア・トリノ出身、滋賀県大津市育ち。日本人の父とイタリア人の母の間に生まれた。滋賀県立膳所高校を卒業後、大阪外国語大学(現在の大阪大学外国語学部)へ進学。在学中はワンダーフォーゲル部に所属し、イタリア語劇団を結成。大阪外国語大学大学院言語社会研究科博士前期課程、同研究科博士後期課程を修了。2008年に京都のFMラジオ放送局でラジオDJデビューし、翌年から大阪のFM802に移籍。2019年より現在までFM COCOLO「CIAO 765」で生放送を担当(FM COCOLOはFM802が運営)。また、イタリア文化を日本に紹介する翻訳家集団「株式会社京都ドーナッツクラブ」の代表を務める。自身もエッセイや映画字幕、著作物の翻訳を手がけていて、最新の訳書には、ホラー映画の巨匠ダリオ・アルジェントの自伝『恐怖』(フィルムアート社)がある。

野村雅夫さんTwitter:@pondemasao
CIAO765番組Twitter:@ciao_765
■過去のレギュラー出演情報
【ラジオ】
[FM802]
FUNKY JAMS 802(月 27:00 - 30:00[日付上は 火 3:00 - 6:00]、2009年10月~2010年3月)
NIGHT RAMBLER(月 25:00 - 28:00[日付上は 火 1:00 - 4:00]、2010年4月~2012年3月)
ROCK KIDS 802(月 21:00 - 24:00、2012年4月~2013年3月)
Ciao! MUSICA(金 12:00 - 17:53、2013年4~2018年3月)
Ciao Amici! (月~木 17:00 - 19:00、2018年4月~2019年9月)

5時間にわたる生放送…!番組制作の裏側にせまる。

朝6時から11時まで5時間続けての生放送、お疲れさまでした!まちゃおさんの楽しげなトーク、年代も国もさまざまな楽曲を間近で聴かせてもらって、こちらまで笑顔になれる番組でした。
ありがとうございます!お〜、ワニ博士…懐かしいですね!今日はよろしくお願いします。
生放送直後の野村雅夫(まちゃお)さん。
―ところで、ラジオを聴く機会はあっても、ラジオ番組の裏側を知る機会って、あまりないと思うんです。まちゃおさんの番組がどうやって作られているのか、番組制作の過程や背景を教えていただけますか?
そもそも、番組のスタッフには僕のようなDJのほかに、ディレクターという役割の人がいて、そのディレクターが全体の構成や曲の流れを作っています。その上で、FM COCOLOは音楽が主役のミュージックステーションとして運営していて、番組中に流す曲数が多いんです。理想は、1時間あたり10曲ほど。「CIAO 765」は5時間あるので、50曲程度を流すことになります。一般的にはディレクターが選曲することが多いんですけど、「CIAO 765」では僕も15〜6曲くらい選曲しています。
― まちゃおさんも選曲されるんですね。
「しゃべり手が選んだ曲のほうが、リスナーに熱量が伝わるんだ」って、ヒロ寺平さんというFM COCOLOのベテランDJにアドバイスいただいて。ヒロ寺平さんは2019年9月に引退されたんですけど、現役の時は「アメリカンスタイル」といってワンマンDJスタイルで番組をまわしていたんですよ。つまり、自分で選曲もするし、DJもするし、ディレクターもやる。僕は、ヒロ寺平さんの後任として番組の枠を受け継いだということもあって、全部自分でやるまではしなくても、大先輩のスタイルを継いでいけたらなと思いました。
― そうやって選ばれた曲が、どうやって番組として形になっていくのでしょうか?
番組を滞りなく進行するために、1時間につき1枚のフォーマットがあって、どんな曲をどのタイミングで流すかを5枚の進行フォーマットにはめながら、その日の話題を考えたりしています。その内容に沿って、番組のディレクターが全体のバランスを見ながら残りの選曲をするという感じです。
― 生放送の醍醐味といえば、リスナーからのリクエストもありますよね?
そうそう。リスナーさんからのお便りやリクエスト曲を募集しているんですけど、ありがたいことに何百という数のリクエストをもらっています。その選曲はもう一人のディレクターが担当していて、番組のテイストやその日の雰囲気にはまる曲を10〜20曲ほど選ぶんです。そうやってリクエスト曲がCDとともにスタジオに並び、僕とディレクターが「次はどうしようか」って相談しながら組み立てていく。だから、事前に準備しているのが6~7割、あとはリアルタイムで判断しながら進行しているのが3〜4割という感じですね。
― 先ほども生放送の様子を拝見しましたが、まちゃおさんが話していないタイミングや曲が流れている間も、ずっとPCを触っていたり、ディレクターさんと打ち合わせされていたりと、休みなしですよね。
よく、「曲を流している間って何してるんですか?」と聞かれるんですけど、次の準備をしているんですよ。そりゃそうですよね(笑)。音楽やビートが鳴っている状態を止めてはいけないわけで、常に、先、先、先を考えています。その中で「CIAO 765」は朝のワイドショーとして、その日のニュースや職場・学校に行って友達と喋りたくなる話題やエンタメ情報、それらに関連する曲などをお届けしています。
― その中でも、まちゃおさんらしさを表現したり、まちゃおさんならではの番組として心がけていることはありますか?
今って、ストリーミングサービスも含めて何でもワンタップで再生できちゃいますよね。でも自分が好きな曲って、曲調とか時代に偏りが出ると思うんですよ。ラジオの良さって、思ってもいない曲や、懐かしい曲、知らない曲が、フッと耳に届くところ。1時間に1曲とか、あるいは1日に1曲くらいかもしれないけど、「あの曲めっちゃ良かったな。また今度ゆっくり聴きたいな」って思ってもらえるものを届けたいと思っています。
― ラジオを通じて、ふれられるカルチャーの幅が広がるなって私も思います。
その上で、僕が意識しているのは「緩急」をつけること。例えば、誰もが知っているヒット曲の後に、まだ世の中に広まっていないような曲を流したり、80’s回帰の曲と80’s当時の曲をつなげてみたり。同年代の曲や、同じジャンルの曲を続けて流せば、違和感なく気持ちよく曲を繋げられるんだけど、そうじゃないものをぶつけてみる。その化学変化がおもしろいんですよね。
生放送中、原稿を読んでいるまちゃおさん。
― 今って、世の中の話題やカルチャーに触れられるメディアって、ラジオ以外にもたくさんあると思います。その中でも、ラジオならではの魅力やおもしろさって、どんなところにあると思いますか?
自分が今持っているものを全部、放り込めるところだと思うんですよ。例えば、「今の宇宙開発ってすごくおもしろいよね」って僕がひと言話せば、宇宙の話題ができる。これがテレビだと、映像を用意したり、コメンテーターさんが必要だったりするけれど、ラジオは純粋に話術なんで、おもしろく話せば何を喋ったって基本OKなんです。ニュースに対して自分が思うこととか、自分の持ってる雑多な関心とか。何でも番組に盛り込めて、しかもリスナーとメッセージやリクエストを通じてリアルタイムにキャッチボールができる。僕の意見に同調してくれる人もいれば、自分にはなかった見方で返してくれるリスナーさんもいたりして、そうしたコミュニケーションも全部、番組内で扱えるのが良いなと思います。

小学生の時の1分間スピーチが、ラジオDJの原体験。

― こうしてお話をうかがっていると、話すのが好きな人がラジオDJに適しているのかなと思ったんですが、まちゃおさんはどうですか?
昔からよく喋ってましたね(笑)。小学校、中学校、高校、一緒に通っていた友達にもずっと喋ってましたね。朝起きてから、「今日はあいつをどうやって笑かしてやろうか」みたいな。ネタを入れてから登校してましたね。
― 根っからのお喋り好きなんですね(笑)。ラジオDJを目指そうと思われたのは、いつ頃のことですか?
ラジオDJに限らず、ニュースキャスターやラジオ番組の制作ディレクターとか、放送や報道、メディアに関わる仕事は小学生〜中学生の頃から興味を持っていました。それに、自分もリスナーとして、よくラジオを聴いていましたね。番組の制作スタッフの名前や役割も覚えたりして、出演側というよりは作り手側に憧れたりもしました。でも今振り返ると、ラジオDJを目指した原点となる出来事が小学生の時にありまして。朝の時間、一人1分間スピーチをするっていうのがあったんです。それは僕の人生で初めて、1分間という時間制限の中、独壇場で話さなければいけないという経験でした。それに、おもしろい話をすれば、みんなが感心したり笑ってくれたりする。それはラジオDJの原体験の一つにあるような気がします。とはいえ、ラジオDJになるためにまっしぐら!という感じでもなかったんですけどね。

イタリアと向き合い、仲間と芝居を作り上げた大学時代。

― では、学生時代のお話をうかがっていきたいのですが、まちゃおさんは現在の大阪大学外国語学部にあたる大阪外国語大学の外国語学部イタリア語専攻に進学されたんですよね。進学のきっかけや経緯を教えていただけますか?
僕の母がイタリア人で、僕自身イタリアにルーツがありつつ、ずっと日本で過ごしてきました。母とも日本語で会話していたし、僕はイタリア語が話せるわけではなかったんです。高校生の時に、イタリアにいる従姉妹に会いに行ったんですけど、イタリア語が話せないから、たどたどしい受験英語でやり取りするしかなくて。これはまずいな、と思いました。大学でイタリアについて学ぶ機会を逃したら、もうイタリアと向き合うことはないかもしれないなって。外国語学部を選んだのは、そんな理由からです。
― 入学後、どんな勉強をされたんですか?
イタリア語を勉強しつつ、僕は映画が好きだったのでイタリア映画を研究してみようと映画理論を学びました。その理論を、イタリアの映画監督たちが作品中でどんなふうに実践しているのか研究を深めていって。当時、僕の指導教官だった先生が「映像はええぞ」ってダジャレをかましながらも(笑)、とはいえその先生は専門分野ではないからと言って、映画理論を研究されているフランス語学科の先生を紹介してくれたんです。僕はフランス語はできないけど、イタリア語で訳されたテキストを一緒に読み込んでいったら良いじゃないかって、仲間に入れてもらえたんですよね。
― その後は大学院に進まれたとのことですが、何かきっかけがあったんですか?
先生方から「もうちょっと研究を深めても良いんじゃないか?」とアドバイスいただいて。それに、そもそも僕はスーツを着るのが嫌だったので「これは渡りに船」だということで、大学院に進学した感じです(笑)。
でも結果的には、大学院に進学してすごく良かったと思います。なぜかというと、学部時代にも時間のゆとりができたわけで。今も開催されていると思いますが、僕たちの時代も学園祭で語劇をやっていて、時間があるから4年生でも語劇に関われた。せっかくなら、専門的にイタリア文化を学んでいるんだから、日本で上演されていない作品をやってみたいなと、同級生や後輩たちに「一緒に演劇やろうよ」と声をかけてイタリア語劇団を結成し、戯曲の翻訳から手がけました。
― イタリア語劇団の立ち上げ!?大変だったんじゃないですか?
まあ、外国語学部って忙しいんですよね。とにかく単語を覚えないといけないし、テストも多いし…すごく大変なわけです。でも時間がない中でも、同じ興味を持って集まった仲間と一緒に作品を作り上げるのって良いよなって。だから、動機としては単純に、みんなでワイワイやりたいな、くらいの感じだったんですけど(笑)。やってみると、すげえおもしろくて。イタリア語で芝居をするので、字幕をつける必要があるんですよ。今の時代、パワポでさくっと作れるでしょうけど、当時はまだ浸透していない時代だったので、OHPフィルムに手書きして。上演時間が4〜50分ある作品だと、その字幕が巻物みたいな長さになるわけですよ。しかもその字幕を、演者のセリフに合わせて表示していくっていう。それも全部手作業だから、「アカン、巻きすぎた!」みたいなやりとりをしながら(笑)。
― みんなでつくる演劇、楽しそうですね。
演劇って、翻訳をする人、字幕をつくる人、字幕を出す人、演じる人…いろんな役割の人が協力して作り上げる集団作業なんです。作品づくりを通してイタリア語にふれて、「この訳語の方が良い」とか言いながら、みんなで作品をかたちにしていく。仲間と一緒の時間を過ごしながら、お互いの研究内容やイタリア文化について話し合うのもおもしろかったですね。こうした交流や、みんなで何かひとつのものを作り上げる経験って、ただ専門書を読んでいるだけでは得られない財産だと思います。
― のちに「京都ドーナッツクラブ」という団体を立ち上げられていますが、どういった団体なのでしょうか?
イタリア語劇団の延長線で立ち上げた団体なんですけど。日本の大手では紹介されないイタリアの文化的お宝を伝える集団です。映画の字幕制作や上映イベント、トークショーの企画とかもやっていて。結成して10年経ったタイミングで法人化して、僕が代表を務めています。

アカデミズムを深めるよりも、 イタリアのカルチャーの匂いがするおじさんになりたい。

― では、現在はラジオDJをやりつつ、会社の社長でもあるということですね。博士後期課程の時代から、どんなキャリアを歩まれてきたんですか?
ドクターの時は、学会発表に出ながら、専門学校や大学の非常勤講師としてイタリア文化を伝える仕事をしていたんですけど。どんどんアカデミズムな世界に入っていくのと同時に、日本国内に輸入されているカルチャーが英語圏の一辺倒になっているんじゃないかと不満に感じていました。僕自身は、学生としてもっとイタリアの小説を手軽に読みたいし、昔のイタリア名画だけでなく、現代の映画も観てみたい。日本も70年代、80年代半ばくらいまでは、英語圏以外のカルチャーが盛んに輸入されていたはずなのに、景気が苦しくなってからは状況が変わってしまって、おかしいなって。それならば、僕がイタリアのカルチャーの入り口になれたら良いんじゃないかと思ったんです。
― イタリア文化を知るきっかけがないなら、自分がその入り口になってしまおうと。
そう。それに、大学で授業をしてみて、自分はアカデミズムの世界では花開けない可能性もあるなと感じたりもしていました。そもそも、自分は組織に属するのが得意じゃないし。アカデミズムを深めるよりも、カルチャーの匂いのするおじさんになっていく方が自分の性に合っているし、イタリア文化を日本で紹介するのを、ジローラモさんだけに任せちゃダメだって思って(笑)。
じゃあ、どんな職業なら自分のやりたいことを、伝えたいことをかたちにできるだろうかと考えたときに、ラジオDJがピンときたんですよね。僕は人前で表現したり、文章を書いたり、音楽も好きだし。やるなら、FM802(FM COCOLOの運営元)が一番いいなと思ったんです。それこそヒロさんのイメージがあるし、おしゃれだし、かっこいいし、自分自身もリスナーだし。FM802でラジオDJになるにはオーディションがあると知り、デモ番組を作って応募したんです。とはいえ、ローマに留学中だったんですけどね(笑)。
― え、留学先から応募されたんですか!?
スタジオでの審査、どうするんだ!?って感じでしょ。だから不合格だって分かってても、自分にとっては応募してみることが目的というか、一度デモを作ってみておもしろいかどうか、「これだ」って思えるかどうかを確かめたくてやってみたんです。結果はダメだったけど。それで日本に帰国して、次のオーディションまで時間があったからどうしようかと思っていた時に、京都の「@-STATION(アルファステーション)」でDJスクールを始めると聞いて応募しました。僕としては、そこで学んでいち早く番組を持ちたかったので、局のスタッフさんに「DJスクールの卒業生が番組デビューできたら、DJスクールの宣伝にもなると思うんですけどオーディションとかないんですか?」って掛け合ってみたんです。
― 自らオーディションを提案されたんですね。
「確かに、それもいいね」ということで賛同を得て、僕一人のためだけのオーディションを開いてくれました。そうして念願叶って、日曜の昼間に番組を持たせていただけたんです。とはいえ、いきなり一人では難しいだろうということで、大先輩のDJと一緒に二人喋りでのスタートでした。
― DJデビューされてみて、どうでしたか?
楽しいのも束の間、大先輩に甘えちゃってた部分もあるし、なんか上手くいかないまま1年で終わっちゃったんですよね。なんだかなあと思っていた時に、当時担当してくれていたスタッフさんが「まちゃお、これで辞めるのはもったいないよ。またFM802のオーディションはあるから、本気のデモを作ろうぜ」って、背中を押してくれました。@-STATION時代は、社会科見学に毛が生えた感じでしか仕事できなかったけど、でもそのおかげで応援してくださる人もできて。2009年に念願かなって、FM802のラジオDJデビューを果たすことができました。
― 最初は27:00〜30:00(日付上は3:00〜6:00)の深夜〜朝方の番組を担当されたんですよね。
深夜の番組って、正直、自分の好きなことを喋って、好きな曲を流してのほほんとしていたら良いと思っていたんですけど、「全然テキトーじゃ済まねえ」って思いましたね。「思ってたのと全然違うやん」って(笑)。
― この番組は、ラジオDJにとっては「試金石」とも「登龍門」とも言える番組だそうですね。
ディレクターさんに、流したい曲を10曲選んでこいと言われて。最初はいくらでも出せますよね。それがフォーマットに仕上がって、ラジオ番組として組みあがって、「すげえ!」って感動していたんですけど。でも、番組は毎週あるのでだんだんストックが尽きてくるわけです。だから、自分自身もインプットを続けたり、かっこいい曲のつなげ方を学んだり、限られた時間の中で話をまとめるスキルを磨いたり。学びの連続でした。

間違っても、道草を食っても良い。大学をフル活用せよ!

― 最後に、現役の阪大生たちにむけて、自分らしいキャリアの歩み方やアドバイスをお願いします。
それはもう、大学をフル活用すべきだと思います。僕は活用し倒しましたよ。授業の空き時間に図書館の映像ライブラリーへ行っては、イタリア映画をリストの上から順に観ていきましたし。今の大学生活って、入学したらすぐ次のキャリアとか、就職先を考えちゃうと思うんですよ。社会がそうさせているんだと思うんですけど。でもね、20歳前後の数年間って、自分の興味を思う存分広げられる貴重な時間なんです。その時間は当たり前だけど二度と戻ってこないし、社会人になったら毎日が目まぐるしく過ぎていくから、悠長なこと言ってられません。でも本来、大学生活というのは悠長に過ごせる期間だと思うんですね。間違っても良いし、道草食っても良いわけですよ。その上で、阪大が魅力的なのは日本屈指の総合大学であるということ。特に外国語学部においては、多様な国の言語や文化について研究を深めている専門家が一つのキャンパスに集結しています。阪大ほど、膨大な言語文化の蓄積を誇る大学は、全国的にみても稀なんじゃないでしょうか。FM COCOLOは「Whole Earth Station」と名乗っていますけど、阪大もまさに「Whole Earth」な学びの環境が形成されている。多様な言語を専門的に学べる大学のスペックを活かすべきですよね。
例えば、僕らは「ボキャブラリーを増やす」ってよく言いますけど、一つの言い方しかできなかったら、新しい発想って生まれないんですよ。別の言い回しや、他の言語ではどう表現するんだろうと学んだ時に、新しい価値観にふれられたり、新しいものの見方ができるようになったりする。これは外国語学部の人に限らず、理系の人は文系の仲間を、文系の人は理系の仲間をぜひ増やしてほしいし、留学に行くのも良い。そうした分野を超えた交流をきっかけに、もしかしたら入学時に想像していた進路とは違う道を歩んでみたいと思うかもしれないですよね。大学生のうちに、できるだけ視野を広げておく方が、人としてサバイブできる能力が総合的に身につくと思いますし、人生の最後に阪大に行ってて良かったと思える、4年間で学んだことは全てそのベースになると思うんです。阪大にはおもしろい人も先生もいっぱいいるし、学食は安くてうまいし、部活も一通りなんでもできる。こんなに恵まれた環境はないんだから、できるだけ大学にいる滞在時間を延ばしてほしいですね。バイトは最小限に、効率の良いやつだけにして、あとはとにかく大学にいたら楽しいじゃんって。つまりは、「大学をフル活用せよ!」ということを、皆さんに伝えたいです。
野村雅夫さんのTwitterで「阪大薫る珈琲」が紹介されました!
CIAO765番組Twitterでワニ博士が紹介されました!
「mappa!」とは、多方面で活躍する阪大の卒業生やアクティブな在学生の生き方を丸裸にするインタビュー企画!
読者の皆様に「阪大の卒業生や在学生にこんな凄い(おもしろい)生き方をしている人がいるんだ」「こんな生き方があるんだ」と感じてもらえるような記事をお届けしています!次回もお楽しみに♪
前回のmappa!記事はこちら

 

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